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兒玉 光雄
兒玉光雄
(社会)
旧制広島一中1年の時に被爆。倒壊した校舎から脱出して生き残り、戦後復学をした19人の中の一人。人生も晩年の60歳代に入り次々とがんを発症しながら22度もの手術を克服。非政府組織のピースボートの船旅などに参加して海外でも証言し、広島市の被爆体験伝承者の講師も務めるなど被爆体験の継承に尽くし、88歳の長寿を全うした。現役時代の仕事師ぶりも異色で、広島大学水畜産学部を卒業後、郷里向原町の役場に奉職し、産業育成を担当する傍ら青年団長を務めるなど町興しに奔走。先進農業研修のためスイスに留学し、帰国後は牧場経営を目指して役場を辞したが、地元の和牛有力業者と対立して辞職し、セゾングループの飼料メーカー「西武化学」に入社。1973年4月には同じグループの「西武都市開発」へ転籍して岡山で「瀬戸パークハイツ」分譲を担当したり、1982年には本土復帰した沖縄事業所の所長として観光事業にも腕を振るった。
2020年(令和2年)10月28日没
【参考文献】◇広島大学文書館オーラルヒストリー事業「日常の中の被爆」プロジェクト第1集=兒玉光雄オーラルヒストリー『原子野を生きのびて』◇横井秀信著「異端の被爆者」(新潮社)
原邦彦
原邦彦
(社会)