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大原博夫
(医療・政治)
大原
東京慈恵会医院医学専門学校を卒業後、自宅で開業。1923年から1947年2月まで県会議員を5期務めた。原爆投下直後から被爆者の救護活動を指揮。その後衆議院議員を2期務めた。1951年県知事に当選。3期目の1962年3月、県議会で「大判、小判事件」が表面化。責任を取って辞任。知事在職中は「生産県構想」を掲げ、消費県からの脱皮に成功した。特に大竹市へ石油コンビナート、福山市へ日本鋼管(現JFEスチール)誘致に成功し、広島港の改修と埋め立て、広島空港の開設、県立医科大学の国立移管、県立農業短期大学の設置を実現した。
1971年(昭和46年)没
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